堀和助安道

 長兄和助安道は(一八二九~一八七五)は、明治維新の時に総社宮の神職に選ばれ、代々続いた家業を和平にゆずる。幼年から学問を好んだ安道は、「吉備国史補」「総社記」など多くの本を書き残し、総社宮の県社昇格にも尽力した。またそれまで学校がなかった総社に、明治五年、成章校(せいしょうこう 総社小学校の前身)の開設を県に願い出た中心人物でもあった。
 和平は、この業績をたたえ、安道の死後、彼を祭る香屋(かや)神社と顕彰碑を総社宮参道に建てた。

 安道の墓所は、岡山県立総社高等学校西側にある。